全世界よりも尊いたましい
エペソ1:4-5
『すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、
傷のない者にしようとされました。
神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、
愛をもってあらかじめ定めておられました。』
神様は1人のたましいを選ぶ時、すでに胎内からそのたましいを選びます。
私たちが神を知らない時、神は私たちを選び神の子にしました。
私たちが神を選んだのではなく、神が私たちを選びました。
私たちの弱さや足りなさを知りながらも私たちを選びました。
神に選ばれた私たちは神の子どもとして神のために生きなければなりません。
私たちの家族がイエスを信じなくても、私たちは自分自身のたましいのために最善を尽くすべきです。
主が私のたましいを愛したからです。
誰かのせいで私たちのたましいが傷ものになるなら、それは切らなければなりません。
どんなことがあっても私たちのたましいは、主の中に主の愛の中にとどまっていないといけません。
神が私たちの家族を選んだのではなく 私たちを選びましたし、 私たちの隣人やすべての人と共に選んだのではありません。
家族と隣人は地上での旅路で共に歩む同伴者にすぎず、私たちのたましいに対しては何もできない人々です。
私たちのたましいは、自分自身に責任があります。
私たちのたましいが救われるために、イエス・キリストを信じて天国へ行かなければなりません。
生まれた人間は各自裁きを受けるために神の前に立たなければなりません。
黙示録20:11-12
『また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。
地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。』
黙示録20:15
『いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。』
裁かれて永遠に火の池に投げ込まれないためにも、誰かのために 自分のたましいが 主の前に行くのをためらってはいけないです。
さまざまな環境や障害物を乗り越えて 主の前に出て来る時に 主は私たちを愛し、 私たちのたましいを天国へ導いて下さいます。
私たちの目標は、天の望みである永遠のいのちであり、天国に入ることです。
マタイの福音書7:13-14
『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って
行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』
いのちの道が狭く、険しい道であっても その道を選ぶ人を、神様は良い羊飼いのように導いて下さいます。神様があいするのは私たちのたましいです。