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心の中に、花を咲かせてみよ

花はどうしてそんなに美しく咲くのか――考えた事があるか?

黙って咲くからだ。


文句ひとつ、つぶやきひとつ口から出さない。


人間とは違う。

――そう、人間とは違う。


花には花の持ち味があって、それぞれが それぞれの美しさを持ち、
個性的に大胆に咲くものもあれば、小さな小さな花をつけ、人知れぬ森の中にひっそりと咲くものもある。


花の美しさは神の与えしもの。

――そう、人間とは違う事がまだある。


置かれた所がふさわしくなくても歩く事が出来ないから、そこで精一杯やるしかない。


人間には動く足があり、考える事もでき、何が良いか悪いか判断する事が出来る。
そこが違う。


まだある。


花には調和があり、魅力がある。


色の調和、香りの調和――
自然に生えている野の花の美しさを見よ。


人間がくずさなければ、今も至る所にあっただろう花畑――
人間は美しいものを 自ら壊していく愚かな者だ――


それがあれば心豊かでいられるものを邪魔者扱いし、壊し、つぶして、代わりに 便利さ、快適さ、自分たちの欲を満たすものをつくる。



人よ、あなたは何者なのか

わたしに創られておきながら、自分はサルから進化した者だと言う。


わたしはサルはサルとして創り、人間は人間として創った。


星は星として創り、太陽は太陽として創った。


花は花として創り、いのちは、わたしが与えたものだ。


わたしから出ないいのちはない。



神がどんな方かを知りたいのなら、神が創られし自然を見なさい。


人が壊さなければ、今もそこにあったはずの自然の数々。

今や多くのものが壊され、失われ、絶え果ててしまった。


人の欲は果てがなく、あらゆるものを欲しがって、神が創りしものを奪い壊してきた。


なのに、くつろぎを求める時には残された自然を観に行くではないか。

人間ほど矛盾した生きものはいない。

あなたがたの心の中に、花を咲かせてみよ。


荒れ果てた心には花を咲かせる土壌もない。


花は美しく静かであり、清らかなものである。


そこにあるだけで人に喜び、安らぎを与えるものだ。


心の中に花を咲かせてみよ。

自ら楽しみ、喜び、人に分け与えられる花、愛の花を。


人は愛されるべきものとして創られた。

それなのに愛を忘れた人間は 人を愛さない。


汚れきった心は、愛を受けつけない――

凍える心で今も生きている者は誰か?
失われたたましいは何処にいるのか。


【 ヨハネの福音書3:16 】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。



神は今も、失われたたましいを探しておられる。


人を愛さない、むなしい心で生きている失われた者を。


神を忘れ、遠く離れた人間を。