Shalom Matsuyama Christ Church Web Site

氷の石

手の中に、氷があった。


「主よ、私は本当に罪を悔い改めても また罪を犯す者です。
心の冷たい者です。許してください。手の中に氷の石があります。主よ、見て下さい。」


すると主が『手を開けてごらん。』と言われた。


手を広げると、手の中の氷は溶けていた。
「主よ、ありがとうございます。でも心の中にいっぱい氷の石があります。」


『知っているよ。すべて捨ててしまいなさい。 持っている間、あなたの心は冷たい。わたしのところに持ってきなさい。』



大きな羽根

「まるまるとしたひよこが嵐の中を走っていた。 強い雨が降ってきて、ひよこはビシャビシャ。


突風が吹いて、ひよこは飛ばされていた。 その時、主が大きな羽根を広げて“早くお入り”と言われた。」


【 詩篇91:4 】
主は、ご自身の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。



主の右手

目の前に、それはきれいな真っ白なロープが綱渡りの為にありました。


それは、長い長い向こうが見えないほど長い真っ白なロープでした。


私はふらふらしながら渡ろうとしていたのです。

私には無理。だめだ倒れると思った時、


主の義の右手で私の手を取って下さって、
「心配しなくてよい。私が○○○と共にいるから安心して行きなさい。 決してこの手をはなさないから大丈夫だよ。」



いが栗

私が歩む道には、それは鋭いトゲのいが栗がいっぱい落ちていました。


いが栗は人の言葉、人の態度、環境、さまざまな問題でした。
それを私は踏みつけては、心の傷がついていました。


ある時、いが栗を踏みつけているのに痛くないのです。
まるで主の着ぐるみを私が着てるかのように、主の中に私がいました。


だからいが栗は主の足が踏んでいて、主の足から血が出ていました。
主が私の苦しみ、悲しみ、辛さ、情けなさ、惨めな心を みんな受け取って下さっていたのです。


【 詩篇119:71 】

苦しみに会ったことは私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。


そのいが栗の道の向こうの方は輝いていました。



仕える者

私はイエス様の後から、まるで秘書のようについて行きました。


その時、イエス様が黒いカバンを私に渡して下さいました。
私はそのカバンを大切に持っていました。

主が私に「そのカバンの中に○○○が望んでいるものが入っているよ。」と言われました。


「主よ、なんですか?」と尋ねました。


「愛・希望・喜び・幸せ・将来・謙遜・感謝、そして平安。カバンを開けてごらん」と言われたので開けてみました。


そこには光り輝く聖書がありました。
御言葉。御言葉がすべてです。まさに命のパンです。

ますます大切にカバンを持ってイエス様の後を従って行きました。
目の前に、それは長い長い天まで届く階段がありました。


イエス様はその階段を登って行かれたので、私もついて登って行きました。

階段の中ごろになった時、目の前におられたイエス様がおられないのです。


私は右や左を探しましたがおられません。
後ろを振り返った時、そこにひざをかがめてイエス様はおられたのです。


「イエス様、何をしておられるのですか?」と尋ねたら

「○○○のウェディングの裾をきれいにしているんだよ。
花嫁が一番美しくきれいであるように、私は花嫁に付く介添をしているんだ」と言われたのです。


―そして、

「私は仕えられるために来たのではない。
仕えるために来たのだ。○○○もひとりひとりの介添役をしなさい。
○○○の事は私がするから、○○○は私がするように、隣人にしなさい。



牧師のメッセージ

私は大勢の信徒たちと一緒に礼拝していました。


前には牧師がいて、メッセージを語っていました。


見ると、イエス様が牧師のとなりにいて
私たちに、おいで おいでと手を動かして招いていました。
牧師はこう語っているところでした。


『自分を罪人と思う者は、目の見える者であり
自分には罪が全くないと思う者は、全く霊の目が開かれてない人です。』


そのとなりで白い衣のイエス様がこう語りました。


≪わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです≫


牧師のメッセージはつづきます。


『神のひとり子が来てくださったのは、神が私たちをあわれんで暗闇から光の支配に移すためです。』


【 ヨハネの福音書3:16 】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


その時、イエス様が私に語りかけました。


≪あなたは、わたしを愛するか?わが娘よ。≫


―はい。主よ、私はあなたを愛しております。
私のあなたへの愛は、あなたが私にくださった愛に比べれば吹けば飛ぶようなものでしかないのですが、
それでも心の底から私はあなたを愛しております。


≪娘よ、伝えなさい。人は持っているものを分け与えれば豊かになる。この世の原則とは反対だ≫


この世では、持っているものを誰かにあげたらなくなろう。
しかしわたしを信じる者は、この世の者とは違った生き方をすべきである。


持っているものは分け与え、共に生かされる道を選びとるのだ。
霊のものについて言えば、与えれば与えるほど、すなわち持っているものを流せば流すほど、豊かにされる。


それは神から与えられるものだからだ。喜んで与えるものをわたしは愛する。


さあこれを伝えなさい。