Shalom Matsuyama Christ Church Web Site

たましいに対する責任

「わぁ〜〜、翼があって飛べたら、どんなにいいかしら!?」


カモメたちを見ながら、本当にそう思います。


青空に、白いカモメたちが飛んで、青く美しい海が、目の前に広がっている。

最高に気持ちいいね。


海風に吹かれながら、陽にあたってキラキラ輝く海を見るのは、とてもいいものです。


この世がどんなにつらく、悲しく、苦しい事があっても、神さまがつくられた世界は、とても素晴らしいわ。


人間には、神さまのように素晴らしく創造することは出来ないわ。

本当に生かされているだけで、感謝でいっぱいです。


神さまに感謝の祈りをささげます。

1人の白髪のおじいさんが歩いてきました。

くたびれた上着を着て、とても疲れた様子です。


「どうされましたか?」

何だか放っておけずに、声をかけました。


「いや〜、あんたに話しても分かるまい……。いや、結局誰に話したところで答えなどでなかったことだよ。


苦労ばかりして生きてきたけど、最近、長年連れ添った婆さんに先立たれてな。寂しくて、寂しくて仕方ない。
この年になって一人で生きていくのも、もう先が長くはないが……。


あんたには、まだ未来がある。時間を大事にしなされ。連れ合いを大事にしなされ。
結局、人間、残るものは何にもありゃあしない。」

おじいさんは、ため息をつきながら隣に座りました。


「娘さんや、話してもいいかな。
寂しい年寄りの独り言だが、聞き流してくれればいいわい。
所詮(しょせん)人間なんて、つまらんもんだな。
何の為に生きて、いつまで生きて、人生なんて思い通りにならない事が山ほどだ。
たとえ子孫を残したところで、むなしい限りだ。」


「おじいさん……おじいさんは、イェスさまのことを聞いたことがありませんか?」


「んっ?外国の神さまかね。わしには何もこわいもんはないが、1つだけ恐ろしいものがあるわい。死ぬことだ。
どこへ行くのやら、見当もつかない。」


私は、イェスさまのことを伝えました。
おじいさんは、時々言葉をさえぎり、いろいろと質問してきました。


そうして、「なんだい、娘さん。あんたその神さま、イェスさまとやらを信じているんかね。
夫が死んで苦労ばっかりしているのに、なんでまた信じ続けておるのか、わしにはちっとも分からん…。」


「おじいさん、生きてると、いろんな事があるわ。
若くったって、たくさん苦しむ人だって多いわ。でも私、イェスさまがいるから今まで生きてこれたのよ。


そして、このお方は生きていて、昔も今もこれからも、ずっと変わることがないのよ。


ねぇ、おじいさん。
人は、物をいくら持っていたって、そこに幸せがなかったら、むなしいだけよ。


でもね、心にイェスさまが1人いてくださると、幸せで、感謝で、飛び上がりたいくらい喜びが溢(あふ)れるのよ。
おじいさんは私に、時間を無駄にしてはいけないって言ったでしょう?


おじいさんにも、イェスさまを信じて残されている時間を、幸せに生きてもらいたいわ。
祈っていいですか?」

そう聞くと、おじいさんは黙ってうなづきました。


祈り終わった時、ポツリと言いました。


「なんだか知らんが、心がやけにあったかいなぁ。
あんたは、こうしていつも誰かの手をとって祈ってやるんかい?」


私は笑って言いました。

「お会いできて良かったわ。これ、あげますね。私の大事な物です。
おじいさんが欲しいのは、誰かのぬくもり、やさしさでしょう?!


人からもらうより、イェスさまが一番、おじいさんに必要なものを与えてくださるわ。
でも私も、今日おじいさんに出会えて、とても嬉しかったです。」


午後のおだやかな光の中、静かで平和な時間を過ごしました。おじいさんは、笑顔で帰って行きました。


おじいさんが帰られると、イェスさまが、私のそばに来て下さいました。


(娘よ。)


「はい。」私は、ひざまづきました。


(祈りの娘よ。人には、いろんな老い方があるな。)


「はい、主よ。その通りですね。
あのおじいさんに、イェスさまのことをお伝え出来て、本当に良かったです。
人生の終わりが近づく中で、福音を聞けるのは何という恵みでしょう。
どうか、あのおじいさんが救われますように。」


(娘よ、あのおじいさんに何をあげたのか?)


「はい。バックの中に入っていたメッセージテープと、この教会のチラシ、
それからいつも持ち歩いているみことばカード、花の絵がきれいなので何種類も差し上げました。
それから私の大事なものー聖書を差し上げました。」


イェスさまは笑って、(救われると思うか?)と言われました。


「主よ、あなたこそご存知です。
でも、これから毎日あのおじいさんの為に祈ります。祈りを積み上げます。どうか憐れんで下さって、お救い下さい。
天国へと、導いてあげて下さい。」


(導く者、そして、ひざまづいて祈る者に出会えた事は、どんなに恵みか…。
娘よ、祈ってやれ。
とりなしてやれ。代わって罪を悔い改め、サタンを追い出し、多くの犠牲を払って、あの者のたましいを勝ち取ろう。その為に出会わせた。)


「主よ、ありがとうございます。
祈ることしか出来ない小さい小さい者ですが、どうか熱い心を注ぎ込んで下さり、1人のたましいを勝ち取れるようにしてください。
よろしくお願い致します。」


(わが子よ。クリスチャン達が、たましいを思う熱き心と、砕かれた心があれば、もっともっと多くのたましいを勝ち取れよう。

見よ。畑は色づいて、刈り取るばかりになっている。
熱心に、わたしと共に刈り取るものは、どこにいるのか?


この世のことに思い煩い、世で頭がいっぱいになって、あなたのそばにいる失われたたましいの価値を忘れてはいないか?


あなたたちのそば近くにいる者の1人のたましいは、全世界の富を集めても、たった1人分のたましいも買うことが出来ないほど、尊いものだ。


忘れてはいないか?
あなたが何の為に、彼らより先に信じる者とされたのかを。


自分の事ばかりに忙しく、自分の家族の事で頭がいっぱいで、わたしがそばにおいている隣人を、後回しにしてはいないか?
忘れてはいないのか?


―――あなたは、わたしを忘れてはいないか?
時折、思い出して祈るが、あとはすぐに世に逆戻り、世にどっぷりとつかって、サンデークリスチャンになってはいないか?


娘よ、わたしに対する熱心度は、人それぞれだ。口先では計れないんだよ。
口では何とでも言える。


しかし、その人をよ〜く見ていよ。そうすれば、分かる。
その人の口と行いが、どうであるかを見よ。

ヤコブ書を読んでみよ。行いについて、書かれてあるからだ。


世の人々が、なかなか、あなたがたの伝道を受け入れないのは、あなたがたにこの点において問題があるからだ。


ヤコブ 2:26

(たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、 行いのない信仰は死んでいるのです。)


熱くなるがよい。もっと悔い改めて、熱心になるがよい。


あなたたちが奮(ふる)いたたなければ、どうやって彼らが福音を聞いて救われるのか、考えなさい。


なまぬるくて いいのか。まどろんでいて いいのか。
自分さえ天国に入れば、家族だけ救われたら、それでいいのか?


見よ。わたしは涙を流している。
わたしは、誰ひとり滅びるのも望まない主である。

わたしの心を求めなさい。たましいを思う、熱い心を求めなさい。


自分だけ、自分の家族だけ…、そんな小さな信仰では、わたしを嘆かせるだけだ。

わたしの愛するたましいが、失われたたましいが滅びていくのを、
わたしは胸が引き裂かれる思いで見ている。


悔い改めよ。悔い改めよ。
愛のないことを、嘆くがよい。愛のない自分の姿を知るがよい。


たましいを見よ。わたしの目で見よ。そうでなければ、何も見えてこない。

いいかい。今は、終わりの時代だ。
主人の心を知っていながら、思い通りに働かなかったしもべは、ひどく打ちたたかれるのだよ。


気をつけていなさい。
先に救われたからには、まだ救われてない、たましいに対して責任があるのだよ。


熱心になりなさい。みことばの乳を、もっと慕い求め、励みなさい。


黙示録3:18−19

(わたしはあなたに忠告する。 豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。 また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。 また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。 だから、熱心になって、悔い改めなさい。)