人が盗んでいる主のもの
人は わたしのものを盗めるだろうか
わたしのものとは何か
時間であり、金であり、あなたたち自身であり、
あなたが これは わたしのものだと主張している多くのこと。
―― 身体 ―― もそうである。
自分の好きなように 長年使ってきて
その罪の結果として病気になる者もいる。
わたしが与えている大切なものとして あなたの家族をみるなら
あなたは今のように自分勝手なことばを使って家族の心を痛め、傷つけることなど できなくなるはずである。
あなたが もし私はクリスチャンよと言うなら。
律法主義者であってはならない。
わたしはパリサイ人たちを忌み嫌い福音書の中で彼らの偽善ぶりを明らかにした。
《 娘よ 》
―― あっ、イエスさまが来られました。
《 わたしのことばが あなたの上にとどまるならば
あなたは わたしの願い通りに動き、愛を基準として歩まねばならない。
わたしの愛とは?
コリント13章を読むならば そこに多くが書いてある 》
イエスさまは私に袋をくださいました。 何でしょうか……?これは。
中には おいしそうなアメがいくつも入っています。
《 あなたが人と話をするとき相手に与えよ。 これには必要なことばが つまっている。
あなたの手に これを握り、 あなたの口のことばで このアメの内容を教えてやれ 人はわたしの愛を伝える道具になれる。
自分を自分のものと主張せず、自分の生き方を主張せず
自分の言い分、いいわけ、怠けの理由をつべこべ言わず
ただ自分の肉に死ぬことを願い、そのように日々努力していくならば
あなたたちは わたしのものを浪費する人間では なくなり、かえってわたしの栄光をあらわす者となれよう 》